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「べき思考」について

「~であるべき」「~すべき」という考えは、
誰にでもあるものですが、
不便な場合には、和らげていくとよいでしょう。

目次

誰にでもあるものだが…

自他に対して、「こうあるべき」という
「べき思考」は、
多少は、誰にでもあります。

しかし、例えば、「公の場所では静かにしているべきだ」
というべき思考があれば、
子どもが騒いでいると腹が立つでしょう。

そういう思考をもっていなければ、
子どもが騒いでいるという現実を
受け止めやすくなります。

自分にとって「不便な」べき思考は、
なかなかに扱いにくいものです。

とはいうものの、「べき思考」は、
例えば、父親が厳しかったなどの
その人の生い立ちや、やむをえなかった事情と
深く関連していることが多く、
なかなか取り去ることはできません。

「~であるに越したことはない」

私が、「心のカウンセリングさかい」を訪れる
クライエントさん(相談者さん)にお勧めしているのは、
「~べき」を「~であるに越したことはない」
という思考に置き換えることです。

先の例ですと、
「公の場所では静かにしているべきだ」

「公の場所では静かにしているに越したことはない」
という具合にです。

これは、A.エリスという心理学者の創出した
「論理情動療法」という考え方に依っています。

それでも、「べき思考」は、
長年にわたってしみついていることが多く、
和らげていくには、
少なくとも数週間の練習を必要とするでしょう。

これまでになかった考えですから、
子どもが自転車に乗るのを練習するように、
繰り返し、少しずつ慣れていく必要があります。

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